• 書籍内容紹介

    章の一部を抜粋(supported by Diamond社)

    ① アートは魂でつながるための道具

    私たちは、言葉を使って暮らしている。

     気持ち良い朝に、元気を出したい朝に、「おはよう」と言う。

     嬉しくて、感謝して、「ありがとう」と言う。

     大切な人に、愛する人に、言葉を使って想いを伝える。

     誤解によって壊れかけた絆をつなぎとめたくて、泣きながら、必死で、さまざまな言葉を尽くす。言葉によって、気持ちが伝わることもたくさんある。 だから私たちは日々、話しているのだし、私は今、こうして言葉で伝えている。

     それでも言葉は、完璧な道具じゃない。

     どんな言葉でも伝わらない想いもあるし、ちょっとした言い回しで、心がすれ違ってしまうこともある。これは悲しいことだろうか?

     私はそうは思わない。

     言葉は一つの道具にすぎず、人と人がつながる道具は他にもある。こんなふうに考えれば、言葉以外のつながる道具も使ってみようという気持ちになれる。

     私は絵を描くとき、筆だけでなくときには手も使う。絵の具のチューブから直塗りすることもある。たくさんの道具があったほうが、もっと描きたいものが描けるからだ。

     それと同じでつながる道具もたくさんあったほうが、より深く、より強く、つながれるはずだ。

     人と人。魂と魂。天と地。あの世とこの世。異なるもの同士がつながるための、言葉以外のコミュニケーションツールは確かにある。そして、アートもコミュニケーションツールであると、私は信じている。

     アートとは、限られた人だけが楽しむ特別なものではない。誰にとっても必要で、誰もの魂を癒し、生命が魂でつながるための「道具」だ。どこの国のどんな人とも、言葉に関係なくつながれる瞬間がある。文化、性別や年齢といった属性を超えて、人と人、魂と魂はつながることができる。

     私はそんな瞬間を体験している。アートで人がつながる瞬間。

     たとえば、2017年6月、東京・紀尾井カンファレンスで行われた個展「神獣 ~エリア21~」には大勢の人が足を運んでくれた。

     アートが好きな人、絵に関心がある人も、もちろん大勢いたけれど、それだけでは九日間で三万人という来場者数にはならないと思う。

     休日に遊びにきたついでだという若い人、近所に住む年配の人、子どもを連れた家族。「うちの子も絵の道に進みたいと言っているから見にきてみた」と話す、お母さんと高校生。

     さまざまな人が、私が描く神獣を通じて、自分の魂と、あるいは大切な誰かの魂と、つながりを持ってくださった。

     2014年に出雲大社に奉納した「新・風土記」に描いた目の部分には、パワーストーンとして星の形にカットされたダイヤモンドを埋め込んだ。

     それは、出雲という土地のパワーに包まれながら、作品と宇宙をつなげるためだった。あの絵が出雲の地で役割を持ち、さまざまな人々とのつながりを持てたことに感謝している。

     日本ばかりではない。イギリス、フランス、ニューヨーク、香港、台湾、シンガポール。

     私はさまざまな土地で、つなげるためのアートを発表してきた。

     いにしえから伝わる、その土地の人々の祈りの色を作品として描き出すと、それを見てくださった人の魂が共鳴する。そうすると、私は温かい色のエネルギーを受け取り、次の作品を描くことができる。この繰り返しが、今の自分につながっている気がする。

     2016年はニューヨークの日本クラブで、観客の前で作品を一から仕上げるライブペイントを行ったのだが、その絵画が平和の象徴として4ワールドトレードセンターに所蔵された。

     それもアートには、傷ついた人と人の心をつなげる力があり、そしてそれは薬のように作用するからだと思う。

     作品を前に、言葉はいらない。

     見るだけ。感じるだけ。思うだけ。

     魂だけで、まっさらの存在として向き合う。

     文化が違っても、言葉が違っても、同じだ。

     年若くあっても、年老いていても、男であっても、女であっても、同じだ。魂であるという意味で、私たちはみな同じものだ。

     絵をきっかけとして、魂と魂が共鳴し合う場をつくる。それも自分の役割だと思っている。

    ② 世界に通じる大和力

     大英博物館に作品が所蔵されたり、クリスティーズ香港で作品が落札されたり、「小松さんは日本的な作品をつくっているのに、活動や評価は国際的ですね」と取材などで言っていただくことがある。

     確かに私の作品は、ありがたいことに少しずつ海の向こうへと旅を始めている。

     最近でいうと、2017年10月にアート台北に出品した際、私の活動のダイジェストVTRをアップしてくれた『VOGUE Taiwan』のフェイスブック記事は再生回数74万回を超えた。

     その年の4月に台北に新しくオープンした「Whitestone Gallery Taipei」で12月に開催した個展は、1ヵ月のトータル来場者数が3万人以上。初日はギャラリーの入口から交差点までのおよそ200メートルに1000人以上が並び、「Whitestone Gallery」50年の歴史上、ギャラリー内のイベントで警察署に届出を出したのは初めてのことだったと聞いた。

     台北の観客には目の肥えたコレクターもいたし、小学生や若い人も大勢いた。アートへの関心が非常に高い地域なのだろう。

     あまりの熱気に地上波のテレビでニュースとして取り上げられ、四大紙『中国時報』でも大きく紹介していただくことができた。

     また、私の作品を購入してくださるコレクターも、さまざまな国の方々だ。日本の有名企業の創業者。台湾の超人気シンガーソングライター。台湾の銀行頭取。シンガポールの不動産王。世界的ブランドの副社長。マレーシアの王族……。

     銀座での個展には、初来日していたアメリカの現代アートコレクターがふらりと訪れ、即決で2作品を。彼が取り出したのは、生まれて初めて見るチタンのクレジットカードで、私は「これって、銃弾で撃たれたりしても弾き返すのかな?」などと子どもみたいなことを考えながら、世の中には桁外れの人がいるものだと仰天するばかりだった。

     こうした活動をする中で、私が「大和力を世界に発信したい」と言うと、「日本らしさを世界に伝えたい」という意味に受け取られることがある。

     確かに有田焼、博多織など日本の伝統文化とコラボレーションする形で作品をつくっているし、狛犬や龍は一見すると「和のモチーフ」という印象かもしれない。日本に生まれた私にとって、日本らしさは大切な手法だ。

     だが、私は、単なるクールジャパンを目指したり、日本らしさのアピールに留めるつもりはない。

     大和力というのは、「日本らしさ」ということではない。日本が古来持っている、いろいろなものを組み合わせ、まとめあげてデザインする力であり、方法である。

     世界のさまざまな文化を集約し、統合する能力こそ、日本が持つ「和」の力であり、「大和力」とは大きな和の力である。「和」は一人称で、「大和」になると大勢になるというようなイメージもある。

     「和」とは、まるで円のように、ありとあらゆる異なるものをすべて包み込み、ミックスする力だ。異なる文化、異なる宗教、異なる考え方、異なる歴史が融合することで、和が自然と成立していく。

     つまり大和力とは、日本だけのものというわけではない。海を超えて地球の大きな和となり、本当の大和になる。

     人の想い、文化、宗教、芸術が一つになる力だから、どの国にも大和力はある。ただ、日本は古来、それを最も得意としてきた国の一つということなのだ。こう考えると大和力とは世界に共通するものであり、地球の歴史の大いなる流れの遺産なのだろう。

     有田焼第15代酒井田柿右衛門さんに「日本文化を世界に発信していくにあたって、どんな工夫をしていますか?」と聞いたとき、面白いことをおっしゃっていた。

     「日本文化を世界に発信しているつもりはありません。私たちはもともと、日本的なものだけでなく西洋食器をつくり、海外に向けて制作していたのですから」

     17世紀のヨーロッパで、オランダ東インド会社が輸入する中国の磁器、なかでも景徳鎮は絶大な人気を集めていた。ところが明から清に変わる戦乱の中、景徳鎮の生産は止まってしまった。「それなら磁器文化がある日本のものを輸入しよう」となったらしい。

     こうして最初は「景徳鎮の代わり」として買い付けられた柿右衛門や伊万里焼は、やがて独自の美しさで世界を魅了していったという。

     つまり文化というのは、そのときに必要とされる最先端のものを、生きるために提供したことから始まる。それがいつのまにか何百年もたって「伝統文化だ」と言われるようになる。

     「昔ながらの伝統ややり方を守ることも大切だが、斬新なことをやったからこそ、柿右衛門は長い時代を生き抜くことができた。これからも私たちは、苦悩しながらそれをやっていく」

     柿右衛門さんの話を聞いて、私は確かにその通りだと勉強させていただいた。

     中国や韓国や日本の磁器文化がヨーロッパに渡り、ドイツのマイセンやデンマークのロイヤルコペンハーゲンが生まれたのだし、逆に西欧の文化の影響で、日本の磁器のデザインも変わっていった。どちらもより美しく、より洗練されていったのだ。

     まさに大和力そのものだと思う。

     私も、尊敬の念によって自分が描いているものとその国をつなげ、ルーツを合致させていきたい。

     だから私は、外国に行くと、その国の大和力に敬意を払いながら、自分の大和力を発揮したいと願っている。

     その国の文化を尊敬している気持ちをしっかり伝えてこそ、アートを通して世界とコミュニケーションができると思っている。

     たとえば香港や台湾では、その国の獅子と私の狛犬をつなげた作品を発表している。

     もともと中華圏ではたくさんの獅子や龍が描かれ、残されている。深く根づいた「獅子文化」があるのだ。

     日本では獅子は狛犬となり、「犬文化」になっているのかもしれないが、私が描く狛犬は、さまざまな国の獅子と日本の狛犬が混じり合ったものだ。

     大和力で、狛犬をキメラ化しているようなものだ。

     キメラというのは生物学の考え方だ。ロバと馬から生まれたラバのように、違う種の細胞が混じって生まれたものがキメラ。

     キメラという言葉はギリシャ神話に出てくる「キマイラ」からきていて、頭はライオン、体はヤギ、蛇のしっぽを持つ。キマイラは伝説の怪物と言われているが、私は神獣の一つだと思う。

     大和力を世界へ。すべてを融合させ、和という方法でキメラ化していく。

     これもまた、私が絵を描く大きな理由である。

    ③ アートを通した魂の共鳴

    私は博物館や美術館に行くと、魂を感じる。

     「スピリットが住んでいるな」と思う。

     同じ古代の石像でも、思わず手を合わせたくなるようなスピリットが住んでいるものもあれば、ただの石像、からっぽの空き家になっているものもある。

     私にとってアートは、作品の中に神獣や守護獣たちが住んでいるスピリットハウスみたいなものだ。

     「天地の守護獣」がニコルさんにしっぽを振ったのは、私がつくり上げたあとに狛犬の魂が天からやってきて、「ここは居心地が良さそうだから、ちょっと住んでみよう」と、作品の中に宿ってくれたからだと感じる。

     「天地の守護獣」は狛犬たちのスピリットハウスになっていたから、ニコルさんに答えることができたのだ。

     自分が魂を込めた作品をつくると、見えない世界からやってきた魂が宿ってくれる。そこで初めてアートは輝き出す。人とつながる力を持つ。

     それが素晴らしい作品であれば、一つの魂ではなく、いくつもの魂が宿る。いってみれば、スピリットのシェアハウスだ。

     真言宗の開祖である空海さんの書を見たとき、私はそれを感じた。

     この書には、たくさんの守護獣、神獣、魂、妖精が宿っていると。まるでたくさんのスピリットが滞在する、すがすがしくて大きな家のようだ。

     伊藤若冲さん作品も、スピリットのシェアハウスだと思う。

     あれだけの作品を残した彼は、アニマル・コミュニケーターのような存在だったのかもしれない。

     また、私たちの目に若冲さん作品は動物を描いているように見えるけれど、若冲さんは動物たちの形から、魂や仏といったものを見ていたんじゃないだろうか。

     そうであれば水中カメラも存在しなかった時代に、海の中で泳ぐタコの姿をありありと描き出すことができた謎が解ける気がするのだ。

     ある個展で、会場内にいたスピリチュアルな人に、「小松さんの前世は、たぶん、伊藤若冲だと思うんです」と突然言われたことがある。

     自分の前世など考えたことがないし、強いて言うなら「うーん、虫かな?」くらいの意識しかなかった私だから、「前世が若冲」というのが本当かどうかはどうでもよかった。

     ただ、動物を通してスピリットを描き出す天才とつながりがあると言われたことが、素直に嬉しかった。

     空海さんや若冲さんにはまだ遠く及ばないが、アーティストである私の役割は、スピリットが喜んで宿りたくなる家、つまり彼らの依り代としてのアートをつくることなのだろう。

     私は小さな頃からずっと神獣の存在を感じていた。

     特定の宗教を信仰しているわけではないけれど、聖なるものの存在や見えない世界はあると信じており、大人になってからはその学びとして、タイに行ったり、ユダヤ教の考え方を学んだり、仏教の住職や神道の宮司といった方々に教えをこうようにしている。

     「魂って、そもそもなんだろう?」

     そんな疑問がふくらんでいた二〇代後半に、タイの聖者から、こんなことを教えていただいた。

     「魂とは成長するものです。大切なのは肉体を磨くことではなく、魂を磨くことです」

     魂の成長と聞いて、はっとした。

     私は魂の存在を信じていたから、ずっと魂を込めた絵を描こうと必死だった。色について学んだり、画材について研究したり、心身を研ぎ澄ますために瞑想をしたりしていた。

     だが、それは肉体や技術的な成長のためであり、魂の成長を意識していなかったのだ。

     当然だけれど私は現実の世界を生きていて、肉体はもちろん重要だ。体がなければ絵は描けない。

     手も、足も、目も使う。呼吸するために肺を使い、心臓だって使っている。

     この体、この心、この命を使って絵を描いている。しかし、本当の意味で私に絵を描かせてくれるのは、魂なのだ。

     それなのに私は、いつのまにか魂をないがしろにして作品をつくろうとしていた。

     いけないと思った。たとえそれで絵がもっと上手になったとしても、それは私の「役割」ではない。

     絵が上手になるよりも、祈りのレベルを上げなければいけない。

     魂は、成長する。いや、魂を成長させよう。

     それから、私の絵は、大きく変わり始めた。二七、八歳の頃だった。

     私の考えでは、どこかに聖なる世界がある。狛犬のような守護獣や、龍のような神獣は、その見えない世界と私たちがいる世界をつなげてくれる存在であり、神の使いだ。

     たぶん、遠い昔には聖なる世界はもっと身近で、お使い役も身近だったのだろう。だから狛犬、スフィンクス、グリフィンといったお使い役は、世界中で石像として制作され、幾千のときを経て残されている。

     彼らはお使い役だから、聖なる世界のメッセージを、私たちに届けてくれるだけではない。この世界にいる私たちの目に見えない祈りを、天に届けてもくれる。

     だからこそ私は、神獣や守護獣を描いている。スピリットが居心地良く宿ってくれるような作品を目指している。

     幸福にもその絵に魂が宿ってくれたら、見えない世界へのドアが開く。

     私の絵を見てくださる人たちが、「あ、この絵、いいな」とふと思ってくださったとしても、それは私の絵の力ではない。私の絵に宿った神獣たちや私自身の魂と、見てくださるその人の魂が共鳴したということだ。

     絵の中に宿った神獣がまっすぐに見つめるのは、聖なる世界だ。

     絵を見てくださる方の魂が、私の絵を通して神獣たちとつながり、神獣たちは人々の魂に問いかける。「あなたの魂は美しいですか?」と。

     その意味で、私の作品は入口にすぎない。みんなのために大きくドアを開ける、みんなの魂や神獣が住む見えない世界とつながる触媒となる。それが私の役割だ。

     魂が共鳴している人は、何がいいのかもわからずに、ただ作品を見つめていることもある。

     空海さんや若冲さんの作品の前で魂を揺さぶられる人は、作品に宿ったたくさんの聖なるものと共鳴し合っているのだと思う。

     私も先人たちが残しているようなスピリットが宿る作品を死ぬまでつくり続けられたら、と願っている。それはまた、私の魂の成長にもなる。

     魂は成長する。聖なるもの、見えない世界とのつながりに想いを馳せれば馳せるほど、魂が成長する感覚が確かにあるから筆をとる。

     私は、アートに特別な関心がない人や、普段は美術館に行かないという人にも、自分の作品を見てもらいたい。

     なぜなら、魂を持たない人など、一人もいないから。

    ④「三年周期」で進めていく画家人生

    小学校のあとは中学、進学するならば高校、大学と続いていく。

     6年、3年、3年、2年もしくは4年。

     こうした区切りはたいていの人が意識しているけれど、大人になったらどうだろう?

     気がついたら1年が終わっていて、今年と来年の境目を感じたのは大晦日やお正月だけ。今年も来年も再来年も、なんとなく区切りがなく日々が積み重なっていく。

     そんな人は多いのではないだろうか。

     阿久悠さんのトリビュートアルバムのジャケットを描かせていただき、画家としての仕事が始まったあと、私は3年周期を意識するようになった。

     1年目=覚醒
     2年目=進化
     3年目=達成

     この3ステップでいろいろなことをして、魂も成長させていくのだ。

     覚醒の年には、文字通り目覚める。魂と目を開いて、3年間かけて達成に向かう。計画をつくり、行動する。

     2年目はそれを進化させて、具体的にさまざまなことをする。

     3年目になれば達成なので、しっかりと3年間の集大成の形をつくりあげる。

     そのためには覚醒と進化が大切で、達成したら、そこでいったんリセット。さらにパワーをあげて次の年は新しい覚醒がまた始まる。

     こうした3年周期を意識すると、自分も成長していけるし、日々を無駄にせず、使命をまっとうすることができる。

     厳密に1月1日が年の始めというわけではなくて、私はなんとなく「秋が変わり目」という感覚がある。

     最初に三年周期を意識したのが2010年。これを覚醒とするのなら、2011年は進化の年だ。

     2011年は3月11日に東日本大震災があった。

     発生後しばらくは、節電しなければいけないと思いながらテレビやインターネットで被災地の1日1日を知り、祈り、絵を描いていた。

     この年はまた、メディアの露出が突然増えて、NHK BSの旅番組「旅のチカラ」の仕事でウガンダに行かせていただいた。

     ニューヨークアート強化合宿もこの年で、あれは私の意識の革命だったから、やはり進化の年だったのだろう。

     2012年は坂城町で初個展、善光寺参道の北野美術館別館でも個展。色を用いた屏風絵「秘仏・宇宙」はこの3年周期の達成であり、今思うと、達成したから、我が子のような「四十九日」の原版を切断する勇気が持てたのだ。

     そして、伊勢神宮で「目」というモチーフを授かったのも大きな達成だ。

     2013年は新たな覚醒。銅版画から、色彩豊かな一点物を描いていこうと心に決めた年だった。

     2014年の進化は、何と言っても出雲大社で色を授かったことだと思う。それが2015年に大英博物館に「天地の守護獣」が所蔵されるという達成につながったのだ。

     クリスティーズ香港に出品した「遺跡の門番」が落札されたのも、世界で認められることの第一歩だろう。

     2016年はまた新たな覚醒。ニューヨーク「WATERFALL GALLERY」で開かれた「A SUSTAINING LIFE」に参加し、私は世界の人に伝わる絵を描こうと意識し始めた。

     ニューヨークの日本クラブでライブペイントも行い、その際の作品が4ワールドトレードセンターに飾られることになった。旧ワールドトレードセンターは、2001年のアメリカ同時多発テロで破壊された場所だ。

     私が描く神獣たちが、平和への祈りとなるなら、今こそ役割を果たさなければならないという目覚めだった。

     そして2017年は、春にまず、紀尾井町の個展「神獣 〜エリア21〜」。秋は10月に台北でのアートフェアに参加、12月に「Whitestone Gallery Taipei」で個展をし、トータル来場者数は3万人以上。

     台湾のヤフーに「小松」と打ち込むと予想検索で「小松美羽」が出るようになったほどの反響で、日本やアメリカとはまた違う、熱風みたいなパワーを感じた。

     日本からアジアに舞台が広がったのは大きな進化だ。

     そして、この本が出る2018年は、1月に北京で開催されたアートアワード「Tian Gala 天辰 2017」で、「Young Artist of the Year 2017」を受賞するという一つの達成があった。

     これからさらにどんな達成があるかが楽しみであり、さらに気を引き締めて進んでいく。

     そして、2019年から新たな三年周期が始まる。オリンピック開催年が進化の年にあたるから、何かありそうな気がしている。

     覚醒、進化、達成。

     このリズムを意識してみると、一年一年をいっそう大切にすごすことができる。

    ⑤ 「誰かがいつか認めてくれる」では時間がかかりすぎる

    ◯牙がある画家になる

    「もっと上がある。認めてもらうには、行かなきゃいけない世界がある!」

     クリスティーズで刺激を受けた私は、ニューヨークのアート強化合宿を思い出し、改めて決意していた。世界で戦おうと。

     ニューヨークで、相手にされなかった100軒のギャラリー。

     あのときはくたくたに疲れていたけれど、ホテルに戻っても眠れなかった。時差ボケではなくて、悔しかったのだ。

     真夜中、ベッドの上に鉛筆やペンをぶちまけて、スケッチブックに描き殴った。シーツをグシャグシャにしても気持ちは抑えられなかった。一人になると、より心に染み込むパンチ。

     戦って負けたからじゃない。戦うことすらできない自分が悔しかった。本当の悔しさを味わいたいと、強く思った。

     そこであきらめて長野に帰る道もあった。逃げ道のほうが多いのが人生だし、逃げたって生きていける。でも、私は絶対に逃げたくなかった。

     「悔しい気持ちにさせてくれてありがとう、ニューヨーク。私はそんなにやわじゃない。もっと悔しい思いをしたい!もっと!もっと!もっと!」

     それから3年。たくさんの経験をした私は、それでもまだまだこれから。

     世界のアートシーンの第一線で戦える画家になりたいと本気で思っている。こういう話をすると、ドン引きされることがある。

     「小松さんって、見えない世界を描くアーティストでしょう。それなのに世界で戦うとか、億単位の画家がいる上の世界に行きたいとかって、なんだか……」

     たぶん、画家について、清貧みたいなイメージがあるから出る意見だと思う。

     「お金や成功なんて考えず、貧乏に純粋に絵を描き続けるのが画家だ」と。

     確かにゴッホは死ぬまで貧乏で37歳でこの世を去り、有名になったのは死んだあとだ。

     モディリアーニも生活は苦しく、35歳で病死した。

     しかしゴッホは1890年、モディリアーニは1920年に死んだ人だ。アートとは時代の最先端を切り開いていくもので、だから未来まで残って文化になる。

     それなのに、なぜ21世紀に生きている私が100年前の人と同じやり方をしなければいけないのだろう。

     やりたいことを世界で発信するには、「誰かがいつか認めてくれる」という生半可な覚悟では、時間がかかりすぎる。いや、時間をかけても無理だろう。

     私は有名になりたいのではないし、お金が欲しいわけでもない。

     ただ、できる限り多くの人に、魂の成長という生き方を知ってほしい。人も動物も一切の差別のない世界を感じてほしい。神獣を通して、絵を見てくださるみなさんを、普通では見えない世界、神々の世界とつなげることが私の役割である。

     自分の役割をまっとうしたいから、私の絵を見てもらいたいのだ。

     その気持ちは最初から変わらない。そのために、できる限り多くの人に、私の絵を見てもらいたいのだ。

     それには展覧会やアートフェアなど、人の目に触れる場所に作品を展示してもらうチャンスが必要で、そのチャンスをたくさん得るには、世界の第一線のアート市場に出て行くのが一番だと思っている。

     「今は市場に関係なく、一人で何かつくってウェブでデビューできる」という風潮もあるらしいけれど、一点ものの作品であるアートは、ウェブの動画や画像、印刷物では伝えきれない。

     実物を見てこそ感じるものがあるはずだ。絵のエネルギーに直に接してこそ魂が震えるはずだ。

     

    2017年からともに歩きだした「Whitestone Gallery」との台北での個展の際、シンガーソングライターや実業家など、台湾の著名人が新たに私のコレクターになってくださった。

     そのうちの一人は70代。コレクション歴は40年で、プライベートミュージアムには数百億円もの美術品があり、T-REXやマンモスの骨格標本も所蔵している。

     絵画ばかりか音楽やスポーツにも造詣が深く、「人生は美という概念の追究だ」というのだからスケールが違う。

     その方は「Whitestone Gallery」CEOの白石幸栄さんに、こうおっしゃったそうだ。

     「彼女のようなオリジナリティのある才能を持っている人を、ゆっくり大切に育ててあげてほしい」

     白石さんからこの言葉を聞いて、アートコレクターが、単なるお金持ちだというのは誤解だと改めて実感した。

     私たちが今、ゴッホや伊藤若冲さんの絵を良い状態で見られるのも、アート市場を支えてくれるコレクターたちのおかげなのだ。

     だから私は、美大を目指す高校生へのメッセージを頼まれたとき、こう言った。

     「義務教育じゃないんだから、美大の学生にはもっと熱くなって戦ってほしい。自分を卑下せずいてほしい。あなたたちは最高だから、自信を持ってください。いい意味で牙がある学生になってください」と。

     私自身、熱く戦いたい。

     謙虚でありたいが、意味のない謙遜はしない。

     

     私は牙がある画家になりたい。